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阿久比の歴史・伝統

於大の方

徳川家康の生母・於大の方は、14歳で岡崎城主・松平広忠に嫁ぎ、15歳のときに竹千代(後の家康)を産みました。その後政略的に離別させられ、20歳のときに坂部城主・久松俊勝と再婚し、その後15年間を阿久比の地で暮らしました。家康に対しては音信を絶やすことはなく、心のこもる慰問の品を送り続け、少年期の家康の心の支えとなりました。また、坂部城内において阿弥陀経を血書して家康の無事を祈りました。桶狭間の戦いの際には、野花菖蒲「花かつみ」を、「勝つ」という名前に思いを込めて仏前に捧げたという言い伝えもあります。桶狭間の戦いの年、於大の方33歳のときには、今川義元の配下として尾張に出陣していた家康と、坂部城で16年ぶりの再会を果たしたと伝えられています。
その後、関ヶ原の合戦で家康が勝利し天下の実権を握った2年後に京都伏見城で75歳の生涯を閉じました。遺髪は、阿久比洞雲院の墓所に分納されています。
徳川家康の生母として、坂部城主・久松俊勝の妻として、乱世を強く生き抜いた女性でした。

Information

問い合わせ先 0569-48-1111
(阿久比町教育委員会社会教育課)
関連サイト 阿久比町ウェブサイト:於大の方